連載四 東北ユースホステルの旅


 私は援助交際?をしたことがある。
 今から四十年くらい前、私は十九才だった。しかも一日だけだがその一日に十回も…。

 その詳細について話そう。
 そのころの私には一才年下の女の子の親友がいた。今は亡きその人といつも二人で遊んでいた。彼女は一部でものすごく注目されている漫画家だった。むろん少女漫画などではなく、女流にはめずらしいとちょっとハードボイルドで乾いたタッチの中にユーモアのセンスがある、そういう作風の漫画を描いていた。ものすごく頭が良くシニカルな批評力にあふれていた。そして彼女も私も二人ともすごく貧乏だった。それでも乏しいお金を遣り繰りしながらいつも一緒にあちこちへ遊びに出かけていた。そんなある日、私達はたしか「富士急ハイランド」だったと思うが遊園地に遊びに行った。そこでジェットコースターに乗った。若かったせいかものすごく楽しかった。もっといっぱい何回でも乗りたいと思った。けれどお金が無かった。

 お金さえあればいくらでも好きなだけジェットコースターに乗れるのに…私は乏しい財布の中身を考えながら思った。そしてその時画期的なアイディアが生まれたのだ。現在とは違ってそのころの遊園地というものは男女のカップルで行くものだ、というような時代ではなかった。むしろそんなものは少数派だった。よく観察してみると大学生らしい男の子の二人連れがいっぱいいた。そしてよく考えてみれば私達は十八才と十九才の若い女の子の二人連れではないか!

 私は彼女を促してただちに二人でジェットコースターのチケット売り場に立った。そしてチケットを買ってこれから乗ろうとする男の子の二人連れに声をかけた。

「あの…このジェットコースター一緒に乗ってくれませんか?でも私達お金が無いんでチケット代おごってくれませんか?」

 なんとその作戦は百発百中だった。断る男の子の二人連れはいなかった。しかも私と彼女がそれぞれ男の子の隣りに座るわけでもなく、それぞれ分かれて前後に並んで座って乗ったのだ。そして乗り終わるとただ単に「どうもありがとう」と言ってその男の子達が去って行くのを見届けるやいなやただちに又、私達はチケット売り場の前に立って次なる獲物を待った。

 その作戦のおかげで私達は気が済むまで、多分十回はジェットコースターに乗ることができた。

 今思い起こしてみると何てのどかな時代だったんだろうと思う。二人連れの男の子達はみんながみんな私達にチケットを買って乗せてくれて、それでいて乗り終わった後名前ひとつ聞いてくるわけでもなく、むろん今で言うナンパをしてくるわけもなく、私達が「ありがとう」と言うとただちょっとまぶしそうな照れているような表情を浮かべて男の子同士二人で次の乗り物へと去っていった。

 これが私の人生唯一の援助交際の顛末である。
 今は亡きその漫画家の親友と東北地方一週間の旅に出たこともあった。これもまた今は亡き私の弟がものすごい鉄道及び時刻表マニアだったので、彼に頼んで完璧な旅行スケジュールを立ててもらった。東北地方を好きな時に好きな駅で乗り降りできる周遊券というのを買った。弟の立てたスケジュールは恐ろしいくらい精密で、例えば東北の聞いたことも無いような駅から何時何分どこそこ行きのバスが出て、そこのなんとかっていうバス停で降りてとか、そんなことまでどうして解るんだろうというくらいの緻密さだった。

 今はもうそういうものがあるのか無いのか全然分らないのだけれど、そのころはユースホステルというのが流行っていた。主にお金の無い若者向けの今で言う民宿のようなものだ。私達は東北の旅でそこを泊まり歩いたのだ。思い出がいっぱいできた。

 シーズンオフを狙っていったせいもあってどこでもガラガラだった。お寺がやっているユースホステルでは私達二人っきり、巨大な部屋のどこにでも好きなところに布団を敷いて寝てくれと言われて、結局その一番端っこに寄り添うように二枚の布団を並べて寝た。またあるユースホステルでは露天風呂があるといわれて行ってみたら、現在の温泉旅館の露天風呂のイメージとは大違い、山の中の農道のようなところの脇にただ穴を掘ってあるだけというような、誰かがその農道を通ったらもろ丸見え、さすがにその「露天風呂」に入るべきかやめるべきか随分考え込んだ末、結局「もし誰かがこの道を通って私達の入浴風景を見たとしても、「別に我々は犯罪とかやっているわけでもないし、ここが風呂だと言われて入っているだけだよね…」「そうだよね」「これって露天風呂じゃなくってむしろ道端風呂って言ったほうがいいんじゃないかな」というようなお風呂にも入った。そして又別のユースホステルではたかが一泊二食付きで二千円位しかしないのに、お金が無いから素泊まりで…とかいって一人千円くらいしか払わないのに何も言わず二食出してくれた所もあった。すごい山の中だった。当然今の温泉旅館の料理などとはほど遠い食事だったが、ただ罪悪感のせいかその時出してくれた質素な料理の中でコーンビーフを食べさせてくれたことを、それが物凄く美味しかったことをいまだに憶えている。

 あれから四十年、私の弟はとうの昔にこの世を去り、その漫画家だった親友もこの世を去り、私は二十歳をすぎたら一日に十万個毎日死に続けてゆくという脳細胞…その不可逆的に減り続ける脳細胞の中で思い出に沈む。

「地上とは思いでならずや」と誰かが言った有名なフレーズがある。

 別に愚痴を言いたいわけでもない、ただあのころ、貧困も、そして苦悩さえも輝いていたような気がするのはなぜだろう。


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