連載五 「天井桟敷」の思い出


 確か二十歳のころ一年半ほどをレスビアンクラブで働いたことがある。安い給料で地味な仕事をし続けるのに疲れていたからだ。でも私の場合ホステスをするのは絶対に嫌だった。男に媚を売るなんてありえない…そういう性格なのだからしょうがない。

 週刊誌に載っていたレスビアンクラブ特集を見てその中の銀座の店に電話をし、面接にいって、すぐに雇ってくれることになった。
 給料は安かった。それまでの仕事と変らなかった。けれどチップを貰えた。それがバカにできないくらいの額で、母親と弟を抱えた私の生活をほんの少し潤してくれた。

 その店は別に男子禁制ではなく、お客の半分以上は男性だった。銀座のホステスがお客を連れて一緒に来たり、男性客だけでやって来たり、あと新橋とか赤坂の芸者さんがよく来ていた。一人で来る男性客さえいた。でも一切媚を売らないで済んだ。楽だった。

 私の他に四人ほどの男装したいわゆるオナベの人たちがいた。彼女達というのか彼等たちというのか、今考えてみるといわゆる性同一性障害の人たちだったのだろう、下着からして男物だった。徹底的に「男」だった。それは別にいいのだけれど、とにかく下品で馬鹿だった。暇さえあれば猥談をしながら博打をやっていた。私もなけなしのお金で仕立てた男物のスーツを着てバッチリ男装をしていたものの、彼らとはいつも一線を引いていた。猥談もしなければ絶対に博打に加わろうとはしなかった。私は彼らが嫌いだった。けれどもとにかくその店に無遅刻無欠勤でせっせと毎日まいにち通っていた。

 そんなある日私はマネージャーに呼ばれた。このマネージャーというのもいわゆるオナベで背が高く、ちょっと太っていたけれどやっぱりスーツを着て男装した人だったが、その人はそんなに馬鹿でもなく下品でもなかった。

「ジミー、芝居に出る気ある?」

 そう言われた。ジミーというのはその頃の私の源氏名である。詳しく話を聞くと、「天井桟敷」という劇団から店に一人オナベを出して欲しいと言って来ているという事、その芝居の稽古中ずっと店にこれない時があっても給料はくれるという事、本番の時は給料プラス劇団から一日五千円くれるという事。それらを聞いて悪くない話だと思った私は即OKした。

 それから数日後、私は渋谷界隈の宇田川町にある工場跡地のような所にいた。そこに行って「寺山さん」という人に会うようにいわれていたからだ。私のほかには誰もいないその場所に立っていたら背広のようなものを着てタイをしていない、その頃の私から見たら疲れたオジさんのように見える人が一人やってきた。私はその人に言った。

「あの…ここで寺山さんという人に会うように言われたんですが…」
「…僕が寺山です…」
「ああそうですか、で、どうすればいいんですか?」
「もうすぐみんなが来ますから、それまで待っていて下さい」

 そんなやりとりがあって、しばらくすると本当に色んな人がやってきた。そして物凄く長くて込み入った内容のアンケート用紙が渡され、それには「世界で一番好きな人」「その理由」「世界で一番嫌いな人」「その理由」というのから始まって事細かい質問がいっぱい入っていた。私は世界で一番好きな人のところにマリリンモンローと書いたのを憶えている。「寺山修司」というのが有名な人で歌人で詩人で批評家で劇作家だというのはそのあと随分経った後に知ったのだった。

「星の王子様」というのがそのときの芝居のタイトルだった。私を入れて五人のオナベが集められていた。劇中で「白波五人男」のパロディをやるのだ。五人とも蛇の目傘を担いで後ろ向きに立っていて、一人づつ前を向いて七五調のセリフを言う…私はその最後の南郷力丸の役だったが、アンケートを読んだ寺山さんが「君はこっち側の人間だね…君の分のセリフは自分で書きなさい」と言ってくれた。「こっち側の人間」というのは未だにどういう意味なのか私には分からないけれど、とりあえず自分の分のセリフを自分で書けた事は何だか嬉しかった。五人のオナベが白波五人男のパロディをやるのはその芝居の売りだったのだろう、その頃人気のあった「イレブンPM」というテレビの中で紹介され、そのシーンをやることになったのだが私の番になってクレーンに乗ったカメラが近づいて来たとたんビックリしてセリフを忘れてしまい、「あ、セリフ忘れちゃいました」と言ったらそのままカメラは遠ざかっていった。(生本番だったのに)そしていよいよ芝居の本番。確か新宿の「アートシアター」という所だったと思う、そこで一週間かそれ以上の期間上演だった。

 初日の芝居が終った直後みんなで大部屋のような所に居たら寺山さんがやってきて「誰か星の大工のセリフ憶えている人いますか?」と言った。なぜか私だけが手を上げた。はっきり言ってその芝居の稽古というのは二ヶ月くらいもやっていたような気がするけれどとにかく同じことの繰り返し、出番の少ない私はほかにやる事も無く仕方ないのでほとんどの人のセリフを憶えてしまったのだ。だからセリフが言えるだけでいいなら誰の代役でもOK!だった。「星の大工」の役の人はなぜか初日ウイスキーと睡眠薬の飲みすぎで入院してしまったらしい。そんな訳で二日目から私は二役をやっていた。でも初日からなぜか膝がガクガク震えてどうしようも無かった。

「三島由紀夫が観に来てる!」と言ってみんなが騒いでいる日があったから、多分その日観に来ていたのだろう。私の膝の震えはとうとう最後の日まで直らなかった。全部終って最後の日、演出家の女性が「やる気があるならここへ残れ」というような事を言ってくれた。私はただ「いいです…」と答えた。私は一人でこの世界の鍵を開けたかったのだろう。


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