連載十一 伝説のライブハウス「猫屋敷」

 暑かった。今年の夏は暑かった。今私の住んでいる家は古い木造モルタル造りで、おまけに猫が三匹いて、リビングに出たり入ったりするので、ドアを完全に閉めることができず、さらに私がいつも座っているテレビの前は横長のリビングの隅で、エアコンがついているのは真反対の壁なのである。

 つまり、エアコンが効かないのである。設定温度をいくら下げても部屋が冷えない。そんな時テレビで「温室効果ガス削減のためエアコンの設定温度を上げましょう」などと言われても困るのである。

 しかたなく、首を冷やす「首もとひんやりベルト」を巻きながら前々回に書いた『熱砂のビアガーデン』を読みかえしていたら、私が始めて造ったライブハウス「猫屋敷」のことが、ふつふつと思い出されるのであった。


 ライブハウスを造ろうと思い立ったのは、今から三十年以上も前、私が都内のライブハウスに出演しまくっていた時の話である。クラブの弾き語りという仕事を得て、生活苦から解放された私であったが、オリジナル曲を歌いたくなってライブハウスに出演するようになって、またまた貧乏になってしまったのである。


 ライブハウスの出演料というのはチャージバックと呼ばれる方法で支払われるのだが、例えば千円のチャージで店が四、出演者が六だとしたら、一人客が入って六百円のチャージバックが入るわけだが、私が出演していたのは小さなライブハウスだったから、入ってせいぜい二十人、一回の出演で一万二千円、メンバー三人で分けたら四千円、月に十回出ても生活などできる額ではなかったのである。


 私はバカではない。いや、バカなところはいっぱいあるし、バカなこともやってきたが、本質的な意味でバカではない…と思う…思いたい。自分でライブハウスをやれば、貧乏から抜け出せてかつ出演場所も確保できる、と考えたのである。とは言え、店を出すには金がいる。貯金なんてもちろんないし、借りる当てはさらにない。となれば、稼ぐしかない。という訳で、私は再びクラブの弾き語りをして稼ぐことにしたのであった。


 私はつくづく…音楽に救われているなあ…といつも思うのだ。しかし、それは普通の人が音楽に救われたというのとは大分違って即物的なのである。普通は落ち込んだり辛いことがあったりした時に、音楽で癒された。という心の問題なのだろうが、私の場合そうではなく、金銭的困窮をいつも音楽が救ってくれたのである。クラブで弾き語りをすれば、それなりの金が入り、貯金さえすることができた。当時のメンバーたちも、それぞれバイトをして資金作りに協力してくれて、やっとこさ店を借りられる資金ができたのであった。


 それから、私たちはライブハウスができそうな店舗物件を探して不動産屋巡りをしたのだが、如何せん資金が少なすぎて物件探しは当然難航した。そんな時、高円寺に元防空壕を改造した地下の店舗物件があるという情報が入ってきた。それも駅から歩いて三分だという。元防空壕というのが少し気になったが、今手持ちの資金で借りられる物件だったので、さっそく見に行ったのであった。


 不動産屋に案内されて行ったその店は、なんと普通の家の地下にあった。大家さんの古い木造の日本家屋があり、その敷地内に五人も入れば満席になってしまうカウンターだけの平屋のスナックがあり…平屋というより小屋と言うほうが正確かも知れない…その店の脇に地下に降りるコンクリートの階段があった。私は期待と不安の中、不動産屋の後について階段を下りて行ったのである。そこは、元防空壕というのが納得できる不思議な店舗であった。


 先ず、天井が異常に低いのである。ちょっと背が高い人ならば、手が着いてしまうほど天井が低く、狭い店内に太い円柱の柱が二本、それも真ん中に立っているではないか。その柱がまた異様で、黒い小さなタイルで全面が覆われているのであった。そこだけが、古い温泉旅館の風呂場みたいな感じなのである。


 私は悩んだ。数々の問題点はある。しかし、駅から近く、かつ安い。どんなことであれ、良い要因と悪い要因がある。大概はそれを天秤にかけ、その頭の中の天秤を見つめて悩むのであろうが、悩んだ末に私は自分のひらめきに賭けることにした。「よし、やろう。ここに決めた」私はついに決心したのであった。


 というふうに賃貸契約を済ませるところまではこぎつけたのだが、ここでまた金銭的問題が浮上することになる。当時の私たちは「金はない、でも人手だけはある」という状態だったので「自分たちも手伝いますから、何とか安くやってもらえませんか」という条件を飲んでくれる大工の棟梁を見つけ出すことに成功したのである。この方法は前回に書いたように、音楽スタジオを造る時にも、さらに『ペンギンハウス』を造る時にも大活躍することになったのだが、まさに「窮すれば通ず」なのであった。


 大きな円柱のタイル張りの柱を避けて、白木のカウンターを店の真ん中に作ることにした。さすがにその作業は大工さんに任せた。椅子は丸太で済ませることにした。以前どこかの店で見て、これはいいなと思っていたのだ。テーブルは自分たちで作り、ペンキも自分たちで塗り、念願のライブハウス「猫屋敷」は連日の突貫工事の中、姿を現していったのである。


 そして、ついに開店の日が訪れた。そこには、私の友人、知り合いの姿があふれていたのである。(うれしい。やった)私は心の中で小さく喚起の声を上げたのであった。しかし、しかしである。友達が毎晩やって来る訳でもない。
 やっぱり私はバカだったのか。それとも…   (この項つづく)




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