高円寺千夜一夜 第六夜 「ザ・コミックメンツ」のコマッチ君ストーリイ その壱 一昨日、高円寺「ペンギンハウス」にて私のライブがあった。物凄い盛り上がりかたで、2ステージ目はほぼ全員に近い観客の人たちが踊りまくってくれた。その2ステージにゲストとして二曲、テナーサックスを演奏してくれたのが「ザ・コミックメンツ」というR&Bの大所帯バンドを率いるリーダーでボーカルの小松崎朝之(のりゆき)君だった。 私は初めて彼と一緒にステージに立ったのだけれど、期待を裏切らないどころか、想像をさらに超える素晴しい演奏でありステージングだった。私のファンの人達もみんな大喜びで大ノリにノッてくれた。 私は嬉しかった。以前から彼の事をこのエッセイに書きたかったのだけれども、小松崎君は忙しいようでなかなか連絡がつかず、最近になってやっと彼に取材ができ、そしてその少し前にゲストで出演もしてほしいという事を伝えることができたのだ。 リハーサルの合間をぬってインタビューをし、先述のライブも無事終わり、今この原稿を書き出したのだ。 私が彼のバンドを初めて観たのはやっぱり「ペンギンハウス」だった。すごくイケているなーと思っていたのでその後、日本青年館での彼のコンサートを聴きに行き、なんてカッコイイんだろうと思っていた。そしてその時の彼は(ザ・コミックメンツでは)サックスではなくリードボーカルをやっていた。 今回取材して解ったのだけれど、彼はとても早い段階で(二十二、三才の頃から)プロとして音楽を始めており、現在も複数のバンドで活動しているという。そしてそのいきさつ、ミュージシャンとしての活動歴がとても面白く、さらに沢山あるので今回は二号分、二回に分けて彼、小松崎くん(みんなはコマッチと呼んでいる)の音楽活動ストーリイを紹介しよう。 生年月日は昭和四十三年十月十日茨城県出身、二十二、三才の頃オールデイズバンドのボーカルで最初からプロとして仕事を始める。一日八千円貰えて普通のバイトよりは高給だったのだけれど、とにかく辛かったそうだ。 たとえばホストクラブに出演したときなど、ホストがお客と話ができるくらいの音量でロックンロールを歌わなければならないとか、それは私自身音楽をやっているのでそれがどんなに無理な注文かという事が良く解る。彼は今でもその時の事を夢に見るという。 そしてバブルがはじけてそのバンドも無くなり、一人でボーカルの仕事を拾い(ひろい、業界用語で不特定多数の場所に不定期に仕事を貰って出演すること)でやっていたのだけれど、そのブッキングマネージャーと大喧嘩してその仕事を止め、さらに業界で「ハコ」と呼ばれる主にナイトクラブなどに出演する世界と縁を切った。そしてそのあとあるファンク系のバンドにボーカルとして参加していた。ところが二十四才の時、酔っ払ってバイクに乗っていて青梅街道でタクシーに突っ込んで脚に大怪我。半年間入院してさらにその後四年間足を引きずってしか歩けないほどのダメージを負い、それでも働かなければならないので座ってできる事務系の仕事をしていた。そして脚も大分良くなってきた頃カラオケ店の店長をしていた時、大人数で来たお客がケンカを始め、物凄い気迫でそれを止めた彼にその時のお客の一人が 「君はリーゼントとかしているけど、何かバンドとかやってるの?」 と聞いてきた、そのひとはロックンロール系のバンドの人だった。そしてそのバンドを新宿の「ロフト」に聴きに行った時偶然そのタイバン(何組か一緒に出る他のバンド)の一つを聴いていきなり惚れ込んでしまい、何とその打ち上げに乗り込んでいって酔った勢いで 「君達の戦略にオレも乗せろ!」 と言ったところ、みんな「?」という顔をしていたそうだ。ところがサックスの人だけが面白そうな奴だと 「じゃ、リハにでも来れば?」 と言ってくれた。そして改めてリハに行ったら、これがすごくハイレベルなバンドで、でも彼コマッチ君は、その時サックスはほとんど出来なかったけれど、自分から言い出した以上もうやるしかないので、何とさっそく「メイト音楽学院」のサックス科に入学した。そしてそのバンドはコマッチ君のサックスがある程度吹けるようになるまで半年間、ライブをやらないでまっていてくれたという。そして彼が入った事によりコンセプトが変ってくるのでバンド自体の名前を「Minor Drag」(マイナードラッグ)と変えたという。そのサウンドはジャズ系オリジナルの独特のインストバンド(ボーカル無しの器楽演奏)で、今もその活動は、むろんコマッチ君もサックスで加わって続いているという。 その出逢いのきっかけとなったカラオケ店で声を掛けてくれた人のバンドはR&Rで無論そのバンドにも加わってやっていたところ、ある日高田馬場にある「エリア」というライブハウスで「クールス」という有名なバンドとタイバンになり、それが終ってのある日突然「クールス」のボーカルの村山一海さんという人から知人を通して電話がかかってきて、今度新しいバンドやるからと言われて「村山一海とダイナマイトサマンサ」というバンドにも参加したという。 さらにその頃、今彼がリーダーでボーカルをやっている「ザ・コミックメンツ」というバンドが始まるのだが、最初彼はリーダーではなかった。それは先述の「メイト音楽学院」で発表会があった時ソウルを歌ってほしいと言われ、「ダンス天国」と「ムスタングサリー」の二曲を歌い、やっぱり歌も歌いたくなり、ウイルソンピケットとかやりたいのなら、ということで発表会で一緒だったピアノの人に「ザ・コミットメンツ」という映画を見せられてハマッてしまったのだ。 〜つづく 次(第七夜)を読む 前(第五夜)に戻る 千夜一夜TOPに戻る |