高円寺千夜一夜 第八夜 フリーダムミュージックスクールの 「イーグル」こと荒井順彦(よしひこ) 「そんなに条件の合う人なんている訳ないんじゃないですか?」 私達が経営するペンギンハウスのほかにもう一つやっている小さな音楽スクール、フリーダムミュージックスクールの事務員を募集しようとした時、初代の事務員だった青木元子さんはそう言ったらしい。 彼女は確か子供がいて、いろいろ忙しくなったので辞めて、そのあと入った男の子は「ひきこもり」になったあげく親に連れられて北海道へと帰ってしまった後のことだった。 (どんな条件なんだろう?)その話を聞いた私は漠然とそう思った記憶がある…ただそれだけだった。 今回彼、荒居君をとりあげようと思ってそのへんの事情を聞いてみた、そして驚いた、青木元子さんの言ったことはもっともだと思った。その条件というのがまず、DTM(デスクトップミュージック、平たくいうとパソコンで音楽を作ること)ができ、ビジネス系ソフトが使え、グラフィック系ソフトが使えて、無論ホームページが作れる…全部で九本のパソコンソフトが載っていて、さらに何かコード(和音)楽器が弾けてコード理論が解る事…というのが募集要項としてペンギンハウスのトイレに貼ってあったという。その話を聞いて、ついでに原子力発電所の設計が出来る人、という条件まで書いてなくてホントに良かったと私は思った。 結局荒居君ただ一人が応募してきた。今から二年半位前、2002年の2月頃。たまたま知り合いの人がペンギンハウスでライブをやるのを聞きに来て、トイレの張り紙を見たという。なにゆえ彼荒居君ただ一人がこのとんでもないたくさんの条件をクリアできたのかというと、その時彼はゲームクリエイターを養成する専門学校の卒業を控えており、当然そういう関係の仕事につきたかったのだけれどそういう世界はやはり経験が無いとなかなか入れない…ということで丁度進路をどうしようかということで色々考えていた時期だったという。 彼は1977年、昭和でいうと52年7月15日生まれ、出身は栃木県、川越にある大学へ毎日片道二時間半かけて実家から通って卒業したという。そしてそのあと先述の専門学校へ入ったのだ。その頃荒居君は学校とかけもちで色々な自治体が開催するパソコン教室の講師もやっていた…それをずっと続けることもできたし、ちゃんとスーツを着てサラリーマンになる事もできた…でもその張り紙を見て「自分のやりたい事ができそうで、ワクのない広くて自由な世界へ入っていけそうな感じがした」という。 私はたまに何かの用事でスクールへ行くことがあり、事務室へ行くことも当然ある。そこで最初の頃荒居君が外からかかってきた電話のその応対にびっくりした。とにかく素晴しいのだ。丁寧でテキパキとしていて、敬語謙譲語の使い分けも完璧、それでいて慇懃無礼になるどころか逆に人柄の温かみまで滲み出るような非の打ち所が無いような話し方、普通の若い大卒のサラリーマンなどはその辺あたりから徹底的に研修と称する訓練をさせないととにかく使い物にはならないという話を良く聞く。 私は驚いてなぜなのか、どこかでそういう研修でも受けたのか?などと訊ねてみた。すると彼の話によれば荒居君の実家は栃木で旅行代理店をやっていて、お母さんがいつも電話で色々なお客さんとか関係者の人たちと話すのを聞いて育ったので、知らず知らずの間にそういう電話での受け答えが身についたのではないか…とのこと。 「うーん、なるほど…」私は唸った、そういうこともあるのか、と思った。そして彼のお母さんというのは年齢的にはむしろ私に近い人だと思うけれど、本当に立派な人なのだなと感じた。 そしてあんまり荒居君のことが気に入った私は彼にコードネーム(暗号名)をつける事にした。それは(・・・・イーグル)というコードネームだ。ここの(・・・・)の部分は基本的に秘密なのだ(だって暗号名なんだし…)そしてそれからずっと彼の事を「イーグル」と呼んでいたらだんだん私達のまわりの人たちもそう呼ぶようになってきて、友達のミュージシャンで山野直人という人は「イーグル先生」と呼ぶようになった。 「イーグル」の学校時代の友達の何人かはそれぞれプログラマーになったりシステムエンジニアになったりした人もいるらしいが、それなりにストレスが激しいらしい、それに反して彼「イーグル先生」は今の職場環境をストレスがほとんど無い上に、「もしかすると世界で一番楽しいデスクワークの中にいるような気がする」とまで言ってくれるのだ。 「ストレスすごく少なくて、その分ギャラも少ないけどね」私はそう言った。彼は優しい顔で微笑んだ。 「好きな音楽はどういうの?」私は聞いた。 「そうですねジャンルとかは関係なくて、重みのある、身を削って作ったような歌詞であり音であるというような、そういうエッセンスが伝わってくるような音楽がいいですね」 「イーグル」はそう言った。 「どんなタイプの人間が好きなの?」さらに聞いてみた。 「それは男女に係らずちゃんと自分を持っていて、考え方とか行動の仕方とかをハッキリ打ち出している…つまりその人間の稜線のようなものがきっちり出ている…そういう人がいいですね、とにかくオープンな人間が自分は好きなんですけど、そういう自分自身が充分オープンなのだろうか?とも思ってしまいます…それがこれからの僕の生活の課題なのではないか?とも考えています」 「イーグル」はそのように語った。 オーイ、みんな!このとても優しい、けれどちょっとはにかみ屋の男のコをヨロシク! 次(第九夜)を読む 前(第七夜)に戻る 千夜一夜TOPに戻る |