高円寺千夜一夜   第九夜


 琵琶奏者の田原順子さん

 その夜、2004年7月22日、門前仲町にある門仲天井ホールはつめかけた観客でぎっしりと埋まっていた。

 この日、琵琶奏者の田原順子さんは最近完成した宮尾登美子版の平家物語を弾き語るのだ。ステージに登場した彼女は黒地に裾と胸のあたりに模様を散らした付下(つけさげ)、金地の袋帯を二重太鼓に結んだ正装、凛とした美しさが琵琶を構えると一層引き立った。

 通常琵琶奏者にとっては古典の平家物語がその弾き語り演奏の中核をなすものらしいのだけれど、先述したようにこの夜は現代語で書かれた宮尾版平家を文筆家の荘奈美氏が琵琶演奏用に脚色し八編にまとめてくれた…そのうちの四編がこれから語られるのだ。

 まず最初は第一章の「緋桜」平清盛の幼少時、美しい待賢門院(たいけんもんいん)の姿に淡い恋心を抱く話が語られる。田原さんの琵琶弾き語りの隣りには望月翔太さんという袴を穿いた若い男性の笛の演奏家が各種の篠笛、それに能管も交えて田原さんの語りを盛り上げる。つまり私達のジャンル風に言えばデュオという事になる。幽玄な音に乗って美しい緊張感の中…物語の世界に観客は一気に引き込まれる。

 この「緋桜」は2003年8月作者の宮尾先生の講演の折、北海道の伊達市というところで初演したそうだ。

 その後休憩を挟んで一気に後半の六章「護摩」(清盛の娘で天皇に嫁いだ徳子の生もうとしている子供が男子であるように護摩を焚いて祈願する)が語られ、続いて七章「千手井」(せんじゅい…ここでは主に物凄い高熱を出した清盛の死とそして屋敷に燃え広がる炎と共に清盛が昇天していく有様)そして最後に平家一門の最終的な滅亡を描いた第八章「舷」(ふなばた…壇ノ浦における海上の合戦で敗色濃厚となった平氏…今は亡き清盛の妻である二位の尼は娘徳子が生んだ孫である幼い安徳天皇に『水の下にも都のありて候』と言って御年八歳、今の満年齢でいえば多分六歳ほどの少年を抱いて入水する)で最後になった。(ちなみにこの後編三章は2004年7月、日本橋高島屋で行われた宮尾登美子の世界展で初演されたそうだ。そして田原さんの演奏を聴いた作者の宮尾先生は非常に感動したと述べられたと、後日私は田原さんから聞いたのだが、その時我が事のように嬉しかった)

 私は客席で他の観客と同じに楽音を伴って肉声で語られるこの壮大な物語の世界に深く引きこまれ、さらにジャンルが違うとはいえ自分自身人前で歌など歌っているせいか、その日の田原さんの集中力の物凄さ、一見静謐で幽玄な世界の中にある素晴しいテンションの高さ、そして存在感の確かさ…演奏が全て終るまでこれらの全てがひしひしと肌で感じられた。

 演奏会場を後にして家路をたどりながら、私は田原さんのことを誇りに思った。

 彼女と知り合ったのはかれこれ六、七年前だろうか…あるイベンターの催した会合のような席で、しかもその会議のようなものが終るとなぜか私は追い払われ、デパートの食堂街のような所を歩いていると、そこに田原さんが一人ポツンと腰掛けていた…さっき見かけた人だ…この人もやはり追い払われたに違いない。私は思い切って声を掛けた、そしてどうせだから一緒に食事でもしませんか…ということになって、それから何となく友達付き合い…時々電話で話したり、食事をしたり、というあいだがらになったのだ。

 田原さんは琵琶奏者として基本の平家物語をやるだけではなく、自分でオリジナル曲を作曲したり、当然西洋五線譜を読み書きして現代音楽を演奏して時々海外公演へ出掛けていったりもする。私の個人的に付き合いのあるミュージシャンの中でおそらく一番メジャーな活動をしている人だ。

 田原さんと一緒に食事をしたりする時、本当にすごい人なのに彼女の話し方はなにひとつ気取ることなくざっくばらんな感じだ、けれど感じるのだけれど彼女の考え方それ自体がいつも気品に満ちていて、話せば話すほど楽しく愉快な気分になってゆき、私なりに色々なことを発見したり感動したり、とにかく時間があっという間に過ぎてゆくのだ。

 今にして思えば彼女と出会うきっかけとなった会合でそれが終った後それを主催した色々な企画をやっている人たちに「私達はこれからお食事に行くから…あんたらはシッシ、どっか行ってネ…」という雰囲気で追っ払われたのが縁だったのだから、人間幸も不幸もうらおもてなのかも知れない。

 門前仲町でのコンサートの後、ちょっとして私は彼女と食事がてら一緒にお酒も飲んだ。私は自分の感想というか感動を語り、他の観客の感想を聞いてみた…やはり深く感動した人が圧倒的に多かったという、そしてさらに『物語の朗読と琵琶の弾き語りをうまく癒合させて新しい表現の形式を作りましたね』という専門家の意見もあったという。そして今回は語られなかった第二章「闇路」、三章「弦月」、四章「炎」、五章「直垂」、この四編は2005年の冬頃に、やはり門中天井ホールで演奏したいと田原さんは言った。今からすごく楽しみである。

「自分の演奏活動の今後の展望は?」私は聞いてみた。

「出来る限りたくさんの曲を創っていきたい…人の心に問いかけるような、それによってさらに新しいコミュニケーションが広がっていくような…そんな作品をたくさん作っていきたい…」

 田原順子さんはそう答えてくれた。きっとそうなるだろう、彼女は素晴しいクリエーターだから、イメージを形にする人だから…今後さらに発展してゆくのは間違いない。私は今までに観た彼女のステージを思い起こした、美しく凛としたその姿、その存在感、やはり彼女は私が誇りに思う友人だ。


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