高円寺千夜一夜   第十三夜


「メトロノーモ」の保科力馬さん

 高円寺のあずま通りに彼保科力馬(ほしなりきま)さんのお店「メトロノーモ」はある。基本的にはカウンターだけの、ピッツァをはじめとするイタリアン料理を食べながらワインとかビールを飲む、そういうコンセプトの軽くておしゃれな感じのお店である。

 このお店のオープンは一年半前、平成十五年十月22日でスタートした十月から十二月まではオープン景気で良かったのだが、そのあと年を越してから少し低調になり、そのあと三月あたりから見えてきて、開店から一年後の十月から本格的に軌道に乗ってきたという。保科さんは二十三才からずっと主に喫茶店系の飲食店で働き、三十三才から四年半、十五店舗くらいあるイタリアンのチェーン店でホール担当として働いてきた。そのころからいつかは自分で店をやりたいと思っていたという、それはどうしても規模の大きい店だとスタッフも大勢いるし、仕事中食事はおろかトイレにも行けないほどの忙しさもあってお客様に誠意が伝わりにくい、おまけにとんでもない無理難題を言うお客もいたらしい。たとえばサラダを注文して三分後に「まだ出てこない、遅い!」といって五分後には時間が無いからといって帰ってしまう人とか、さらにはおばあさんと三十代くらいの夫婦に二才ほどの男の子がきたときなど、その子供が店の木製伝票差しをおもちゃにしていたので舐めたりしたらいけないと思って「これはおもちゃじゃないんだよ」とやさしくそれを定位置に戻したらもう大変、そのお店はデパートの中に入っていたので翌日さっそくデパートにメールが届いて朝からその保科さんの働いていたレストランチェーンの本社の営業部長がやってきて対応に大騒ぎ、結局そのときの店の店長と(保科さんは副店長だった)デパートのレストラン担当の課長がその御客様の所へ謝罪に行った。そのメールの内容というのは『OOデパートにいって家族と楽しく食事をしようとしていたのですが、マネージャー風の人に子供が遊んでいたものを取り上げられました。息子がかわいそうでせっかく楽しい食事が台無しでしたOOデパートではどういうサービス教育をしているのでしょうか』というものだった。今でもその出来事が忘れられない、と保科さんは言うが、本当にひどいクレーマーもいるものだとその話を聞いた私は思った。

「そんなとんでもない親にそんな風に育てられたらその子供、将来ひどいろくでなしの人間になるに決まっていますよ!」

 憤りを感じた私は彼にそう断言した。

「とにかく御客様に楽しくすごしていただきたいっていう気持ちが伝わらないことがとても辛いことです」彼はそう言う。だからこそ自分自身の責任で全部やれる店をはじめたのだろう。

 そんな彼の店「メトロノーモ」はまずピッツァを焼く本格的な釜を備えていて、ここへ来て初めて知った四種類のチーズだけをのせて焼く「クワトロ・フォルマッジ」というピッツァはチーズ好きの私にはたまらないおいしさだ。ちなみにチーズはゴルゴンゾーラ、タレッジョ、モッツァレラ、リコッタ、の四種類。ワインを飲みながらこれを食べると心までリッチな気分になってくる。さらに特別なルートから仕入れているという黒こしょう入りのサラミも絶品、まだこのお店の全てのメニューを食べたわけではないが、いままで食べた品々の全部が基本的にグレードの高い美味しさであることは間違いない。
 さらに彼保科さんはこの「街から」という雑誌に俳句関連のエッセイを連載している丹沢亜郎の俳句の「お弟子さん」でもあるのだ。俳号は店の名をもじって「野茂めとろ」丹沢亜郎はライブハウス「ペンギンハウス」のオーナーでありかつ私の夫でもあるのだが、とにかく保科さんは十五年ほど前に三ヶ月間くらい「ペンギンハウス」に通ってフォアローゼスというウイスキーのボトルを入れたりしていたそうだ。「メトロノーモ」を開店して翌年の三月、思い切って挨拶がてらでかけたところ「あーた、前来た事ありますよね」といわれてびっくり(十五年ぶりだったのに)なんで分ったのかと聞くと「目の感じで分る」と言われたそうだ。その翌月四月から「俳句をやらないか?」と言われて八月、奥多摩とそれから奥さんの実家のある逗子に行く時に俳句を百句作ってくるようにいわれて、二十句作ってきたところ、作ってきたこと自体をとても褒めてもらい、どんどん俳句の楽しさを感じるようになったという。彼の店にいくといつでもカウンター正面のところに「今日の俳句」というのがしゃれたコルクボードに貼ってある、もちろん毎日作っているその日ごとに違う句だ。そして彼は自分のお店のホームページに「メトロノーモ俳句日記」というものを掲載している。私も時々それを見たりして自分が出掛けて行った事などが(O時SY子さん来店…)などというかたちで書かれていたりすると何だか嬉しい、そして必ず一句の俳句が載っているのだ。

 丹沢亜郎は彼にとってまず俳句と、ジャズ、そして店をやっている先輩として三つの師匠でもあるそうだ。これからもずっとそれらを通して付き合いが続くといいなと思っているという。将来の夢とか目標のようなものは?と訊ねると、たとえば高円寺だったら南口の方に昼型のピザカフェのようなものをつくりたいし、もしそうなっても自分はこうやってカウンターの中に立ち続けたいという。保科さん、俳号野茂めとろさん、ぜひその目標をやりとげて下さい。

 二回目か三回目に「メトロノーモ」に行った時に私はさっそくかれにコードネームをつけた、いわく「ホワイト・コンドル」いつも真っ白なシャツにタイをしたそのたたずまいは清潔で、大空を飛翔するようなイメージがしたからだ。


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