「高円寺千夜一夜」   第十五夜


「TINA」の河西修さん


 十年くらい前の事だろうか、私は「ヘアースタイル難民」だった。それはどういう事かと言うと、まず自分に似合うヘアースタイルが自分の事なのに全然分らず、漠然とソバージュという長いオカッパに細かいパーマを全面的にかけるというのがいいかな…とか考えて近所の美容室へ行ってそうして欲しいと言った。沢山のロットを巻いてものすごい時間をかけていざ出来上がりという時に私は愕然とした…全然パーマがかかっていないのだ。ほんの少しだけゆるいウエーブがついているだけ…それでも料金はしっかり取られた。

 その店に懲りた私は高円寺でチラシを配っていた店に行った。そして受付でなにか物凄く偉そうに威張ったネエチャンが紙とボールペンを突きつけて、名前と住所と電話番号をこれに書け、と命令してきた、そしてそれを書き終わると「今日はどうして欲しいのか?」と御下問があって、私が恐る恐る「ソバージュで…」というと「ああそう、じゃあそこで待っていて」と言って傍らの椅子を示した。

 その店に関しての私の記憶はそこまでだ。あまりのショックで記憶が飛んでしまったらしい。
 その直後ふとしたきっかけで知り合ったのが「TINA」の河西修さんだった。

 ヘアーメイクサロン「TINA」は正確には美容ではなく理容の免許でやっているお店なのだけれどお客の四割は女性で、いわゆる「床屋」という雰囲気はまるで無い。場所は阿佐ヶ谷駅北口から走って二十秒、徒歩で二分の好立地。とてもお洒落なインテリアの店内にはいつもFMラジオかかっこいいブルースが流れている。

 私が初めてそこへ行った時、私は率直に自分のヘアースタイルをどうしたらいいのか解らないと言った。そしたら彼、河西さんは一緒に考えてくれて、その後私のトレードマークになっている金髪メッシュ入りのショートボブを考案してくれたのだ。

 彼とはたまに一緒に飲んだりもするのだけれど今回取材という事で彼とあって色々話を聞いて心底感心したというか感動したというか、それを皆様に知っていただきたいと思った。

 まず彼は長野県は佐久市の出身で、家はあまり裕福ではなかった。それでも高校を卒業するにあたって美術とか彫刻がすごく得意だったので何か手に職をつけたいと思って上京し、阿佐ヶ谷の理容院に住み込みで働き出した。そしてそこで働きながら何と通信教育で国家試験の免許を取得したのだ。その理容院には少ない時で四人から五人、多い時で十五から十六人もスタッフがいた。そこで働いているときに辛かったのは自分は通信教育で学んでいるだけなのに他のスタッフは実際に学校へ通っている…その分の落差にかなり悔しい思いをした事もあったという。

 それでもそのお店の寮にいて十年間頑張った。そのお店の先生は非常に物事が解っていてかつ暖かい人柄の人で、だから長続きしたのだろう。そのお店では三食は出た、けれど給料は物凄く少なかった。でも我らが河西さんはタバコまでやめて色々な講習会に勉強に行く費用に当て、鋏などの道具を買い、そして十年…彼は貯めたお金にプラス国民金融公庫から借りたお金を元に阿佐ヶ谷駅北口走って二十秒のところに堂々「TINA」を開業した。資金的に一切親の世話にはなっていないという。さらに開業の前に三ヶ月間ニューヨークへ留学し、そこでサロンワークを学んだという。

 そしてその後の彼は教える立場でもある。「TINA」の営業のほかに日本中で開かれる講習会に、行く先々の求めに応じて、カット、カラー、パーマ、メイクなど、自分の持っている技術の全てを教えに飛び回っているのだ。そして彼は言う。

「自分は講師として色々な所から呼ばれているけれど、同じ所から三回呼ばれて初めて本当だと思います。初めは名前だけで、二度目は付き合いで…三回呼ばれて初めて実力だと思います。お客さまも同じです、三回来てくれて初めて自分のお客さまになったんだな…と思います。そのために必要なのはとにかく勉強です。次から次へと新しい技術を勉強して講師で呼ばれていった所でも、また自分の店の中でも最先端の技術と知識で対応していかなければと思っています」

 飲みながら彼の話を聞いた私は心の底から感動した。なんて自立した人なんだろうこの人は!とも思った。彼は若いのに自分のオリジナルな哲学、そして美意識、価値観すべてをすでに持っている。そして彼はブルースが好きだ、私のやっている「仲田修子&ミッドナイトスペシャル」の熱心な観客でもあるのだ。ブルースっていうのは広い意味で言えば宗教音楽と民俗音楽とクラシックを除く全ての音楽の総称だ。彼は言う、

「一見華やかに見える仕事ですが、実際は一日中立ちっぱなし、気も使うし体も疲れる仕事です」

 うーんそうだったのか、ブルースが好きな理由が何となく解ったよ!ブルースっていうのは都会で生きている人間の孤独、愛、哀しみ、絶望、そして希望、全てを唄っている歌なんだからね…頑張れ河西修さん!私も死ぬまで頑張って唄い続けるから…そして「サマータイム」の歌詞じゃないけど彼の奥さんはとても美しくてエレガントなひとだ。彼女を見ているだけで彼の美意識が逆照射されてくる。彼が追求しているのは美しさとエレガンスなのだ。そしてそれはみごとに彼の仕事そのものと一致している…彼は幸せ者だ。そしてこの私もまたそういった意味で幸せ者だと思う。この前彼にあった時に聞いてみた、どんな時が嬉しいかと…彼は言った「それは単純にお客さまとか講習での生徒に喜ばれたときですよ」「私も同じだ!」

二人でヤキトリ屋で乾杯をした。


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