連載十二 伝説のライブハウス「猫屋敷」〜続き〜


 今から三十年前、高円寺の元防空壕という小さな地下の店舗物件を借りて、ライブハウスをオープンさせた私であった。そして、ついに開店の日をむかえたのであったが…
 
「猫屋敷」は開店した。私の不安をよそに、開店当日店は私たちの友人であふれた。私たちは忙しく働きながら(なんとかやれるかも)と思った。しかし、友人だけで毎日客席がうまるほど友人はいなかったのである。ちなみに「猫屋敷」という店名は私が考えたものである。元来の猫好き故思いついた名前だったのだが、思いの他インパクトが強かったらしく、元防空壕という特異な状況と相まって「猫屋敷」が伝説のライブハウスと呼ばれるのに、貢献してしまったようである。


 席が客であふれかえったのは開店初日だけで、その後一週間位はポツポツとやって来てくれる友人、知り合いでそこそこ忙しかったのだが、悲しいかなそこまでであった。今考えてもあれほど入るのに勇気がいる店はないのではないか、と思うのである。商店街から一本入った路地の周りは民家ばかりで、そこにポツンと地下に通じる歪んだコンクリートむきだしの階段が口を開けていた。通りすがりに気軽にドアを開けるのには程遠い雰囲気をかもしだしていた。その後奇跡的に常連になってくれた客も「はじめて入った時は勇気がいったよ」ともらしていたほどであった。


 客は来なかったが店員は多かった。前にも書いたが、当時の私たちは金はないけど人手はあるという状態だったので、何一つ疑問を感じることもなく、みんなで店に出ていたののであった。今考えれば一人でも充分に営業できる規模の店だったのにである。そんな狭い店内に私を含めていつも五人は店員がいたのである。ライブハウスとうたっていたが、ライブは週に一回くらいだったので、他の日は普通の飲み屋というかスナックというか、つまり普通に営業をしなければいけなかったのであるが、私も店員として働いていた仲間も、誰一人としてそんな経験はなかったのである。


 そんな状況でも奇特な人はいるもので、常連になってくれる客が一人二人と増えてくれた。客が二人に店員五人、当然暇である。ひどく退屈していた私は、ある日即興劇をやろうと思いたったのである。『熱砂のビアガーデン』で少し触れたが、私は『白百合女学院と黒百合女学院の抗争』という即興劇を思いついてみんなに説明した。…白百合女学院はお嬢様学校だからあくまで上品に、対する黒百合女学院は不良学校で品がない、この二つの学校の生徒が出会うところから物語は始まるのだ…と状況設定だけした私はその場に居合わせた客と店員であるバンドメンバーを二つの高校に割り振ったのである。


「なんだ、お前ら白百合女学院かよ、この辺ででかい面すんじゃねえよ」「イヤーネ、黒百合女学院だわ、皆様、相手にしてはいけませんことよ」こんな調子で二手に分かれて即興劇は続いていった。ここで一つ注意しておきたいのであるが、演じているのは全員二十代の男の子である。さぞ異様な光景であったと思うが、そんなときに限って見知らぬ客が入ってきたりするもので、大概はドアを開けてすぐ…間違えました…という顔をして帰っていった。ごく稀に異様な光景にめげずに入って来て、しばらく即興劇を眺めていた後に、恐る恐る「僕もやっていいかな」と言う客もいた。私は次々と新しいシュツエーションを考え出し、つまり状況設定をしては即興劇を楽しんでいたのである。終いには即興劇を楽しみにやって来る客まで現れて、普通に営業していると「修子さん。今日は芝居やらないの?」と客の方から催促されたりしたのであった。後で聞いた話だが、その時に即興劇に参加していた客の一人(やはり二十代前半の男の子)が、それをきっかけに演劇に目覚めてしまい故郷に帰ってからもずーっと演劇をやっているそうである。私の退屈を紛らわすための遊びが、人にそんな影響を与えたのかと私は一人驚いたのであった。


「猫屋敷」が伝説となったのは一つには、その狭さにあったのではないかと思う。店の真ん中にはカウンターがあり、奥に四人掛けのボックス席が一つ、カウンターの後には壁に沿って造りつけのベンチがありテーブルが三つあるほどであった。ライブハウスといってもステージなどなく、奥のボックス席のテーブルを移動すれば、そこがステージに早変わり、であった。弾き語りやアコースティック系のデュオ(二人編成)やトリオが多かったが、中にはドラムまで入ったバンドまでもが出演した。バンドの時には店の三分の一がステージになることもあったのである。そんな狭さが熱気を生み出し、時と場所を共有した人の記憶に残っていったのだろう。


 結局私は三ヶ月ほどで店は亭主に任せて、バンドでビアガーデンの仕事を取り、再び歌で稼ぐことを決意したのであった。「猫屋敷」はその後十数年続き、伝説となったのであるが、ここで前回の疑問に戻らなければならない。私はバカだったのだろうか?という疑問である。確かに当時の無謀さはバカに値するかもしれない。後先を考えずに闇雲に走っていたような気がする。でも、その無謀さ故にビアガーデンで稼ぐことを思いつき、そこで稼いだわずかな資金で音楽スタジオを開き、さらにはライブハウス『ペンギンハウス』を開くまでになったのである。
 今、しみじみと思い返すと当時の私はバカであった…と思う。思うのだが、そのバカさ加減がその後の私を次なる行動へと導いてくれたのではないか、とも思うのだ。賢く計算高くいたら、きっと「次」はなかっただろう。
「若い頃のバカは買ってでもやれ」そう思う今日この頃である。



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