連載十三 「弾き語り」という仕事 その一
私と音楽との出会いは「弾き語り」から始まった。弾き語りとはギターやピアノを弾きながら歌を歌うことであり、それを生業とする人のこともそう呼んでいたのである。私の場合はギターの弾き語りだったのだが、かつては銀座、赤坂、六本木とネオン輝く街に弾き語りを入れている店がたくさんあり、それが店の格にもなっていたのである。「うちの店は高級ですよ」という証として弾き語りを雇っていたのだ。一つのステイタスだった弾き語りもやがて場末のスナックまで広がっていくのだが、私の働いていた銀座、赤坂、六本木はステイタスの生きていた街であり、生の歌、生の演奏に人々が価値を持っていた時代でもあったのである。私が弾き語りになったきっかけは嘘のような話から始まる。ある日私のアパートに友人のS君がギターを持って現れたのだ。S君は唐突に「このギターあげるよ」と言ったあと、簡単なコード(和音)を四つ教えてくれると、帰ったのだった。そのギターとはフォークギターだった。その頃の私は音楽に無縁で、当然楽器などさわったこともなかったので、ただ単にギターだと思っただけだったのだが、何故か熱心にコードの練習をして、一ヶ月たった頃には、雑誌の付録のコード付きの歌詞を見ながら何曲か歌えるようになったのだった。その時期を見越したようにS君がやってきた。「どう?歌えるようになった?じゃあ、歌える店があるから行こう」そう言うと、私とギターを連れ出して東中野へと向かったのであった。そこはアマチュアのミュージシャンに歌える場を与えてくれるといったスナックで、私は覚えた歌を訳も分からず歌ったのだった。
「ねえ、君、毎週土曜日にここで歌ってくれない?一晩で二千円あげるから」私が歌い終わると、その店の若いオーナーが言った。私は予期せぬ申し出に驚きつつ、断る理由もないので「ええ、いいですけど…」と承諾して、週に一回お金を貰って歌を歌うことになったのだ。歌を歌ってお金を貰う…それは信じられない出来事であった。その店で歌い始めてほどなくして「こんなところで歌ってないで、銀座とか赤坂とか六本木で弾き語りをすれば、もっとお金を貰えるよ」私の歌を聞いたお客達が教えてくれた。この世界には「弾き語り」という職業があるらしい、そしてそれは儲かるらしい。もちろんプロの歌手がいることは知っていたが、それは芸能界のことであり、テレビとかレコードとか、自分とは縁もゆかりもない世界のことだと思っていた私は衝撃とともに決心したのだ。…弾き語りになりたい、いや、なんとしてもなろう…
決心はしたもののコネもツテも私にはなかった。私は必死に考えた。@弾き語りを入れている店は銀座、赤坂、六本木にあるという→A弾き語りが入っている店に遊びに行っている人と知り合えば、何か情報が手に入るかもしれない→Bそういう人と知り合うには、銀座、赤坂、六本木で働けばいいだろう→Cしかし、ホステスなんてやるのは嫌だ→Dでも、ホステス以外でも何か仕事があるかもしれない→Eよし、探そう。そして、私はついにバニーガールの仕事を見つけたのだった。その店は六本木にあり、アメリカのプレイボーイクラブの系列だか、ライセンス契約だかしている店であった。バニーガールは店のシンボルであり飾りであり、客をエスコートして飲み物を運ぶだけで、客席で接待するホステスは別にいたので、これならできると思ったのだった。ただ、外国人客が多かったので、バニーガールは日常英会話ができることが条件だったのだ。私は英語なんてほとんど話せなかったが、面接の時に「はい、英語を話せます」と言いはって就職することに成功したのであった。今考えれば乱暴な話だが、とにかく何としても弾き語りになりたかったのだ。
バニーガールをやっている女の子は売れないモデルが多かったが、私は背が高く腰高で、当時は痩せていてスレンダーなタイプだったので、自分で言うのもなんだが、そのおかげでバニーガールになれたのだと思うのだ。英語は何とかごまかした。トイレの場所を聞かれて答えに窮した時は「フォローミー」と笑顔で言って案内をしたら、すごくありがたそうに「サンキュウ」と言われた。きっと、なんて丁寧なんだろうと思われたのだろう。私は日本人の客が来ると「弾き語りの仕事を探しているですが、どこかお店を知りませんか?」と話しかけた。そんな都合の良い話が降って涌くわけもなく、時だけが過ぎていきあきらめかけていた頃、あるお客が「僕の行きつけの銀座の店で弾き語りを替えたいって言ってたよ。紹介してあげようか」と教えてくれたのであった。
そしてオーディションの日がやってきた。その頃の私はノーメイクにジーンズにワークシャツが基本スタイルで、しょっちゅう男の子と間違われていたのだが、その日ばかりはミニスカートをはき化粧もしてオーディションに望んだのだった。一曲目はジャズのスタンダードナンバーで「サマータイム」二曲目はシャンソンで「ろくでなし」を歌った。店の人が四人、がらんとした店内の正面に座って神妙な顔で私の歌を聴いていた。そのあと二曲歌ったところでオーナーらしき人が「もう、いいよ」と言った。一瞬…やっぱり駄目だったか思った時、その人は続けて「じゃあ、来月の一日から頼むよ。君、初めてらしいからギャラは十二万しか出せないけど、いいね」と言ったのだ。夢じゃないかと思った。本当にそう思ったのだが、顔には出さず「わかりました。よろしくお願いします」と言って店を出たのだった。
それまで工場できつい仕事をして月に三万円しか貰えなかった私にとって、弾き語りはやっぱり夢のような仕事であった。でも、どんなに夢見た仕事であっても現実となれば、様々な事態に直面する…そのことを私は思い知らされるのだった…
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